数学

2016年8月21日

氣づきと発見の数学史

(森田真生『数学する身体』新潮社 2015年)

森田氏の処女作。文学的で哲学的な書名。本書で数式はほぼ出てこない。これは「氣づきと発見の数学史」だと思った。他分野の研究成果も盛り込まれていて、面白く読んだ。

多岐にわたる数学の歴史に一本の水脈を通す。人類はいかに数字を数えてきたかから始まり、哲学と密接に関わったギリシア数学の論証、アラビア・イスラム世界で育まれた計算が近代に入り西欧で定着、そして、チューリングの機械と岡潔の情緒に辿り着く。

森田独特の着眼点から氣づきも得た。

本書の地下水脈は「自然の中での人の心とは何か」だと思う。
数学者・岡潔の思想は「情緒」にあるという。彼は数学の論理の世界に身を置きながら、心を大切にしてきた。それは脳内に収まり切れるものではなく、もっと大きな何かであると。それが情緒であるようだ。

森田氏の今後の活躍に期待する。

2012年12月13日

森田真生(まさお) "What is Math About?"

Ted in Kyoto 2012 に森田真生氏が出演しました。

http://www.youtube.com/watch?v=Hx6ZNEWydCU

以下、抜粋。

○数学は完全に終わりのない、閉じていない創造行為なんです。

○美しい数学。

○「数学(mathematics)」の本来の言葉はギリシャ語で"ta mathemata(タ・マテマタ)"という言葉でした。この意味は、我々が「つかみ取る」ことによって得られるもの。ただ、通常の「つかみ取る」という意味ではなく、我々がすでに持っているものを「つかみ取る」という意味です。普通「つかみ取る」という単語は、私達が持っていない何かを「つかみ取る」という意味です。でも、"ta mathemata"においては、私達が何か手に入るものを「つかみ取る」。「すでに得ているもの」をつかみ取るという意味です。ちょっと難しい概念ですが、言い換えると、数学の元々の意味は、すでに持っているものを「つかみ取る」、すでに知っているものを「知る」。それはどういうことなのか。

(岡潔曰く、)数学は自然数の最初の数字「1」について何も説明することができない。「なぜその最初の数”1”は存在するのか」、「最初の数”1”とは何か」。これをどんなに数学的に論理的に頑張って説明しようとしても、あなたは決してそれを説明することはできないし、決して証明することもできない。”1”という存在や最初の数”1”が何であるかを私達は単にその存在を信じるだけなんです。そして、その信念は根拠のないものに支えられています。この信じる心の力が無ければ、数学というのは全く根拠のない、無意味なものになります。(略)「計算」や「論理」の奥深くには、それを支える広大な心の領域があって、計算や論理を下から支えているのです。

なので、数学の中心には、数字や論理や計算があるのではなく、私達の心に巨大な広がりを持つ世界があるのです。岡潔はそれを「情緒」と名付けました。岡潔の言葉を借りれば、数学は数や計算、論理についての学問ではなく、数学とは「情緒」についての学問である。それは私達の心の内側を覗き込む行為そのものの事であり、そして、自分自身の心に出会う行為のことである。自分自身の内にある豊かな世界、つまり「情緒」に出会うことである。

なので、もし数学をしたいと思ったら、なにも難しい問題を解こうとする必要はありません。まだ誰も証明したことがない定理を証明しよう、そんなことを思う必要もありません。簡単な問題で構わないので、その問題に集中し、自分自身で考えてみることです。決して答えを見たり、ごまかしてはいけません。自分の頭でそれが分かるまで徹底的に考え抜いてみることです。ただ、それには忍耐力が必要です。そしてそれに集中し続けること。ひとつの問題に忍耐強く集中し続けることが大切です。そのような心の状態を辛抱強く耐えていると、自分自身の心に再び出会うことになるでしょう。もしあなたが幸運であれば、「情緒」の海で泳いでいる自分自身に出会うでしょう。

伝えたいメッセージはただ一つです。
数学とは数だけの世界でなく、計算だけの世界でもなく、論理だけの世界でもありません。数学とは、自分自身の心の内側を覗き込んでいく行為のことであり、その過程で、自分の中にある広がりを持った「情緒」の海で自分自身に出会うという体験、そのもののことである。そういう意味では、あなた自身も含めて、誰もが数学者になれるのです。

2012年9月30日

在野の数学者

「圏論について2時間くらいで説明してもらえますか」。「たった2時間で、ですか」と笑いながら、講義に入った。

在野の数学研究者、森田真生(まさお)氏、27歳。専攻は代数幾何学の圏論。

この方のセミナーには熱心な聴衆がいる。テーマは高等数学。今流行りのビジネスマンに役立つ数学ではない。数学で日常生活の奥深さを伝えている。今の30代、40代の人たちはうまい論争で相手をつぶし、相手の知的な活動を低下させる。だが彼は相手と共に知的な活動を建設的に盛り上げる。

まだ実績はないが、武術家の甲野善紀が認めたことを皮切りに、思想家の内田樹も彼を応援する。そのため、何の実績もないのに著名人たちの後援を受けている森田に苛立つ人間もいる。彼はその人の挑発をただ黙って聞くしかなく、応援してる客人の手を借りなければその場を収めることができなかった。その反面、大学は出たが大学院に通ったことのない森田が、国立大学教授に圏論を講義している。

その圏論との出会いは、伝説の数学者、グロタンディークの自伝を読んだことから始まった。ユダヤ人のため強制収容所に拘束されたことがあり、ほぼ独学で数学を研究、数学界最高のフィールズ賞を受賞。しかし、なぜか突然ピレネー山脈に隠遁してしまう。そんな思想と行動を理解するために森田は、グロタンディークが専攻した圏論を学んでいる。

圏論と呼ばれる数学の基本的な思想は、まず要素があり、その要素の集合として全体ができると考えるのではなく、まず全体があり、その関係性のネットワークが、個々の対象のアイデンティティを決めているのだ、と考えることはできないだろうか、という輪郭がある。ある人物を知るために、その人以外の人から話を聞く。それが圏論的な方法という。

圏論に魅せられた男がこれに自分の人生を捧げようとしている。


(雑誌『AERA』'12.10.1号「現代の肖像」より要約)

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