2016年11月27日

自然の中の心身の氣

(藤平信一『心と身体のパフォーマンスを最大化する 「氣」の力』ワニブックスPLUS新書、2016年)

 本書は合気道という武道の一つの流派、心身統一合氣道で捉える「氣」の概念を具体例を交えて分かりやすく解説している。この氣を通して、幅広い読者に役立てて頂けるようにと、藤平信一は誠実に語りかける。著者は心身統一合氣道の会長。日本から始まったこの流派の合氣道は、現在世界24カ国で3万人ほどが学んでいる。
 ここでの「氣」は、超能力や超常現象のような特別なものではなく、誰もが持っていて、誰もが活用できるもの。人間は大自然の一部であり、自然と人間が氣でつながっている状態、「氣が通っている」のが本来あるべき姿。氣は生きる力そのものであり、生命力である。この氣の性質を海の中で水を手で囲っているようなものと説く。手の内側にある水は自分の水と言っても良いかもしれない。しかし、実際には海の水である。海水のごく一部を自分の手で囲っているに過ぎない。もし誰かが手にした水を自分の水だと捉えて、手の内と外で水の行き来をできなくすると、手の中の水は次第に淀んでしまう。これに対して、これは海の水を手で囲っているに過ぎないと捉え、水の行き来を保っていれば、手の中の水が悪くなることはない。「氣」もまた同じとの事。大自然の氣を私という存在で囲っているに過ぎない。氣が通っている状態を元氣といい、氣が滞っている状態を病氣という。
 この氣を通して、どう日常生活に活かすか、どう人間関係を豊かにするか、そして、夜眠れないなどの心と身体の関係の悩みをどう解決するかを具体的に解説する。また、彼は宗教、現代医学、心理学も認めている。人柄は寛容で懐が広い。
 日本の「氣」と中国の「気」の違いにも触れつつ、日本で生まれた氣が世界に発信している証として、アメリカの野球、メジャーリーグのドジャースで指導したいきさつを語る。
 そして、どの分野でも、実力を蓄えたことを前提として、大事な場面で実力を存分に発揮する方法がこれまであまり教育されていなかったという。その方法を鍛えるのが大切だと説く。

 自分は、面白く読んだ。氣づきも多く得た。折を見てまた読み返したい。
 本書を読んで、心ばかりに重点を置くのでもなく、身体だけに囚われるのでもなく、心と身体双方をバランス良く養うのが大切だと改めて知った。また、何か一つのことを習得するには、知識を得るだけでは不十分で、無意識に身体が反応するくらい訓練するのが重要だと知る。やはり、日々の積み重ねは疎かにできない。

2015年8月19日

心が静まる (藤平信一『心を静める』)

 藤平信一(とうへいしんいち)氏は、心身統一合氣道の会長。二代目の後継者。彼はプロ野球選手などのプロアスリート、音楽家などのアーティスト、会社の経営者にも指導をしている。合気道の数ある流派の一つ。この流派の基本は「心が身体を動かす」。本書はこれに基づいて心を静める方法を説く。
 本書は心と体の関係を心身一如と心身分離で説明する。例えば、外出するとき、家に鍵をかける。そのとき、鍵をかけることにしっかり意識を向けていれば、鍵をかけたことを忘れない。心身一如。一方、考え事をしながら鍵をかけたとき、鍵をかけることにしっかり意識が向いていないとき、後で鍵をかけたか不安になる。心身分離。これが、心が身体を動かす一例。
 そして、心と身体は同時に鍛えるのが良いという。そのための正しい姿勢を説明する。学校で教わる「氣をつけ」の姿勢を一般的に正しい姿勢だと思われている方が多いと思う。ところが、その姿勢は間違っていると言う。その胸を張った力んだ姿勢では不安定で、誰かに肩を軽く押されただけですぐぐらついてしまう。そうではなく、力まずに、自然で楽な姿勢でも、安定した姿勢がある。肩を押されてもぐらつかない安定した姿勢。それを写真を交えて説明する。
 その自然で正しい姿勢ができた上で、臍下(せいか)の一点を説明する。臍下の一点とはへそ下の一点のことだが、この考えはこの流派独特なものだと思う。古来、臍下丹田と言われてきた。その下腹が大事だと。「田」は広く面積を指す。本書では面積ではなく、下腹の一点に心を静めるのが大切だと説く。
 そこで、「氣の呼吸法」が出てくる。これもこの流派ならでは。この呼吸法は、初代の故・藤平光一氏が確立した。生きるか死ぬかの戦場体験を通じて。だが、この呼吸法は正しく行えば、楽に呼吸できる。これも写真を使って分かりやすく説明する。この呼吸法の活用例を挙げてみる。

① 持っている力を発揮する
② 正しい判断を行う
③ 感性を磨く
④ コミュニケーションを円滑にする
⑤ 質の高い睡眠を得る
⑥ 自分の心と向かい合う
⑦ 健康のバロメーターにする(血行が良くなる)
⑧ 心のとらわれを外す

 「心のとらわれ」について、彼はこんなことを言っている。

「いったん何かに心がとらわれると、心を使うことができなくなります。大事な場面で実力を発揮することもできません。これがいかに恐ろしいことかおわかりですね。呼吸を静め、心が静まった状態で自分の心と向き合うことで、自分が何にとらわれ、何にこだわっているのかがわかってきます。心のとらわれが外れたら、あとは簡単です。本来向けるべきことに、心を向けるだけです。」(幻冬舎文庫、167頁)

 一度通読して、本書の考えに納得したら、氣の呼吸法も試してほしい。1日15分、2週間やってみて、その効果を検証してほしい。
 自分はこの呼吸法で随分助けられた。これで怒りが収まり、落ち込みから立ち直り、体の凝りが楽になった。
 この呼吸法の確立者・藤平光一氏は、氣の呼吸法の究極の姿をこう表現する。「我れが天地か、天地が我れか、即ち、天地と一体となる至妙境に至る」と。自分もその境地に到達したいと、氣の呼吸法を続けている。

 最終章で信一氏は、感謝の心が大切と言う。当たり前だと思われる向きもあろうが、実際に感謝の心を持つ人は多くなく、形だけの感謝に留まっていると言う。

「感謝の心は、本当に心が静まった状態ではじめて生まれるものです」

2014年2月 4日

書き言葉としての日本語 (水村美苗『日本語が亡びるとき』)

 水村美苗という作家をご存知だろうか。
 自分は『日本語が亡びるとき』で彼女を知った。
 これは全体としては日本語論になるのではないだろうか。だが、書き出しは小説のように始まる。アメリカのアイオワ大学が主催した世界各国の作家や詩人を招いたプログラムに彼女が参加した体験談を皮切りに。ユーモアを交えて次々と読ませる。全くの他人である読み手を自分の世界にいざなう作家らしい腕の冴えを感じる。そこに彼女の言葉への考察が少しずつ加わってゆく。

 次の章の「パリでの話」では、日本語のあるべき姿を切々と訴えている。今現在英語が世界を覆い尽くそうとしている中で。この本の副題には「英語の世紀の中で」とある。英語という大きな波が押し寄せる中での日本語の危機感を彼女は感じている。書き言葉としての日本語の。この章での彼女の主張は感動せずにはいられない。日本語を母語とする者にとって。
 そして、彼女の目は世界を見ている。西洋やアジアのいくつかの国々の言葉を<普遍語>、<国語>、<現地語>の三つに分けて論じてみせる。それぞれの国の言葉の世界史的な変遷を見渡しながら。その中で、書き言葉としての日本近代文学の軌跡に彼女は重きを置いている。彼女が少女時代の多感な頃に読み耽った日本の近代文学である。思い入れもひとしおだろう。ただ、自分のその思いだけではなく、大人としての今、それを世界史の中で見直して、改めてその重要性を説く。明治時代、日本が欧米の植民地にされなかったため、書き言葉としての日本語が文学を通して成熟していったこと。それでいて欧米の書物をどんどん翻訳し、日本語に取り入れたこと。そのため、あらゆる分野を日本語で考えることができ、それで書くことができること。
 彼女の意見は日本の教育にも及ぶ。子供達には、英語の前にまず日本語をしっかりと教えなければならないと。特に近代日本文学を。小学生ならまだその翻訳でもいいが、高校生になったら原文で読んでほしいという。
 そんな彼女は東京に生まれる。12歳の時、父親の仕事の都合で家族と共にニューヨークに移り住む。アメリカになじめず、改造社版「現代日本文学全集」を読んで少女時代を過ごす。イェール大学および大学院でフランス文学を専攻。のち、創作の傍らプリンストン大学などで日本近代文学を教える。著書に、『續明暗』(1990年、芸術選奨文部大臣新人賞)、『私小説 from left to right』(1995年、野間文芸新人賞)、『本格小説』(2002年、読売文学賞)などがある。
 冒頭の書名とは裏腹に彼女は日本語への愛に満ちている。

2013年4月12日

数学と心 (岡潔『春宵十話』)

数学者のエッセイ集です。そんなに堅苦しくなく、数式は一切出てきません。読みやすいです。数学は論理の世界だと思ってしまいますが、彼は数学に大切なことは情緒だと言っています。それだけで驚かされます。しかも彼は生半可な数学者ではありません。数学の難題を解決し、世界の研究者に認められました。異国の数学者達には「岡潔」という名をグループ名だと思われたそうです。それくらい、一人で大きな仕事を成し遂げました。そのため1960年に文化勲章を受章しました。1963年にはこの『春宵十話』で毎日出版文化賞を受賞しました。彼は1901年に生まれ、1978年に亡くなりました。明治生まれです。

情緒は数学だけでなく、人間にとって大切なものだと説いています。情緒は本書を一貫したテーマです。これを通して、数学、文学、絵画、音楽、教育、文化を語っています。数学や教育だけでなく、専門外の芸術や文化にも自分の意見をしっかりと持っています。数学で一流になったので、それ以外の分野への意見にも説得力があります。面白いです。

彼にとっての情緒とは、直観、氣づき、自然、真善美といったことです。情緒ではないものは、計算や論理、残忍性のある動物的なもの、私利私欲などです。そんな情緒を大切にしなければいけないと、数学者が言うのです。そこに面白味があります。

岡潔は問題解決の糸口である発見を西洋流と東洋流に分けています。西洋流の発見は、インスピレーションであり、発見の鋭い喜びです。木に例えると花の咲く木です。欧米の数学者は歳をとるといい研究はできないそうです。欧米にも若いうちはインスピレーション型でも、歳をとるにつれて境地が深まっていくという型の学者はいるが、それをはっきりとは自覚していないようだと岡潔は言います。一方、東洋流の発見は、情操であり、木に例えると大木です。情操が深まれば境地が進む。老年に至るほど境地が冴えていく。夏目漱石や西田幾多郎をその例に挙げています。岡潔自身は、若い頃は西洋流の発見をしていましたが、歳とともに東洋流の発見をするようになりました。海外の研究者に「岡潔」はグループ名だと思われたのは、こういった移り変わりがあったためではないでしょうか。

本書では時折ひょうひょうとしたユーモアも感じさせます。また威張った感じは全くなく、あまり抵抗なく読めると思います。時間をおいて何度も読み直したいエッセイ集です。読むたびに新しい氣づきが得られるかもしれません。

2013年3月 1日

闇をくぐった光 (桜井章一『負けない技術』)

桜井さんは麻雀の裏プロの世界では、「雀鬼」とたたえられ、怖れられました。勝負師です。麻雀の裏プロには代打ちというものがあります。これはやくざの親分や社長の代わりに麻雀を打つことのようです。そのため、その世界で一度でも負けると、もうその街にはいられなくなるそうです。彼は昭和30年代後半からその世界で勝ち続け、20年間負けなしの無敗伝説を作りました。1943(昭和18)年生まれです。

Photo表紙の表情や風貌にあるように、見るからに勝負師といった顔をしています。背筋も伸びています。

漫画などでよく彼をモデルにした作品が作られ、雀鬼の名が広く知られるようになりました。

現役引退後、「雀鬼会」を主宰しています。これは麻雀を通して人間力を鍛える場です。そこに全国から若者が集まっています。汚い世界で人間の闇を見続けたため、引退後は世の中のために尽力したいとの思いが募ったのかもしれません。

書名に『負けない技術』とありますが、決して弱腰の考えではありません。著者は言います。勝ちたいという考えは自然界の中には存在しない。自然界の中にいる動植物たちには、本能で生きる、つまり負けないという普遍のスタンスがあるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。そう説いています。勝つと負けないは違うと言っています。勝ちにいくと、欲が出ます。汚い手も出ます。それよりも負けない方が強く、自然に則っていると言うのです。桜井さんは現役時代、相手が汚い手でくると、自分はもっと汚い手を使って勝っていたそうです。それがこの本を書く時期には「勝つのではなく、負けない」という境地に達しました。この本では負けないことの強さ、大切さを説いています。

ここでは彼なりの生きる術が書かれています。至極全うなことが書かれています。雀鬼という異名のイメージが強い人には肩透かしを食うかもしれません。いくつか列挙します。

・振る舞いは力まず、柔らかく。
・自然や下の者から教わる大切さ。
・勝ち負けよりもいい勝負で己は成長する。
・輝く手に乗り、汚い手には乗らない。
・耐えているときも楽しめる感覚。
・守るのではなく、受ける。
・自分だけでは駄目。相手も尊重し、生かす。
・逃げたら弱る。

特に僕が共鳴したことが二つあります。
一つ目は、なめた余裕は単なる油断。本当の余裕とは、精神面、技術面を含め、その人がそれなりのレベルに達していなければ出てこない。不十分な実力のまま、相手に勝ちを勧めているだけで勝てるほど、勝負の世界は甘くない。日頃から「準備・実行・後始末」の鍛錬を積んだ上で、敵に「どうぞ」と言えるのが本当の余裕だ。本当に強くないと口にはできないことである。これが一つ目です。
二つ目は、野球の投手が、「どうか打たないで」というマイナス思考で投げた球より、「打てるもんなら打ってみろ」と余裕を持って投げた球の方が、勢いは確実に増す。でも、この余裕は断じて相手をなめていない。
この二つがとても印象に残りました。

麻雀の言葉はほとんど出てきません。なので、麻雀をやったことのない人でも読めます。勝負師の話として。これは自己啓発や精神論に当たるのではないでしょうか。桜井さんの本は他にもありますが、僕はこの一冊しか読んでいません。ですが、この本は彼の考えがよく書かれていると思います。麻雀の厳しい世界で生きてきた人生の先輩として、麻雀に関心のない人にも興味深く読める本だと思います。
これは一人の勝負師として生きてきた証と言えるかもしれません。

2013年2月 8日

時代を経ても (東野圭吾『手紙』)

以前に東野圭吾の『手紙』を読みました。彼の作品は何冊か読みましたが、この作品は出色の出来だと思います。感動しました。これは映画にもなりました。原作の映画化は他の作品でもよくあります。大抵は原作の方が面白いと思います。僕は『手紙』を読んでから、その映画も観ました。やはりこれも例外ではなく、原作の方が面白かったです。映画はだいたい二時間前後の制約があります。その限られた中に原作の世界を詰め込むには、厳しいものがあるのかもしれません。と言いつつ、結局その映画でも感動したのですが。とにかく、逆に言えば、それだけ原作の『手紙』は人の心に良く訴えるものがあるのでしょう。これを読んだときは面白くてすぐに読み終えました。

内容は社会派小説です。犯罪加害者の弟が主人公で、犯罪者の兄のために弟は世間から差別を受ける話です。露骨な差別ではありませんが、身内に犯罪者がいることを知った人は自然と離れていきます。なかにはそれを知りながら離れない人もいます。ですが、そういう人は少ないです。本人に落ち度は全くないのに。様々な出会いと別れ。リアルな人間模様。読み出したらやめられなくなります。主人公の設定の目の付け所の良さ。次々と読みたくなる作者の筆力。この単行本の帯にはこんな惹句があります。「あなたが彼ならどうしますか?あなたは彼に何をしてあげられますか?」このように考えさせる内容でもあります。

現実の殺人事件は、最初はテレビなどで報じられますが、その後の関係者がどうなったのかは伝えられません。世間の人々もそれぞれ自分の生活があります。事件などの報道も毎日次々と新しい知らせが続き、かつての殺人事件は世間の記憶の隅に追いやられます。ですが、事件の当事者にもその後の人生があります。その関係者はその事件を忘れることはできないでしょう。ずっと引きずると思います。東野圭吾はこの『手紙』でその関係者の後の暮らしぶりを丹念につづります。一度事件が起きると、その後の関係者は実際にそうなるんだなと思わせる心理描写が見事です。

ちなみに、小説、エッセイ、哲学など、どの分野でもそうだと思いますが、作品によってはメモに取りたい言葉が次々と出てくる本もあれば、メモに取りたい言葉はあまりないけど面白い本もあると思います。どちらがいい、悪い、の問題ではありません。それぞれの本の個性の違いではないでしょうか。この『手紙』は後者でした。メモしたい言葉はありませんが感動する作品でした。もちろん、どれがメモに取りたい言葉かは読み手により様々でしょう。同じ人でも時間が経つと印象に残る言葉が変わってくるときもあります。同じ小説を何年も経ってから読み直すと、前と違った印象を受ける話はよくあることです。それは映画にも言えます。作品は変わっていないのに、前と印象が違うということは、時代や自分の内面が変わったのだと思います。

この『手紙』は次々と読ませるエンタテイメント性と、考えさせるテーマを持った文学性を兼ね備えた、上質な作品だと思います。これはいっときのはやりで終わってほしくない、時代を経ても読み継がれていってほしい作品です。

2012年9月15日

明治以降の詩人たち (篠田一士『三田の詩人たち』)

「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」

これを久保田万太郎、一世一代の名句と評する人がいる。篠田一士(はじめ)である。文芸評論家。彼の『三田の詩人たち』を読んだ。三田とは慶應義塾のこと。そこにゆかりのある文人を講じているが、三田はきっかけにすぎず、俳句、短歌、詩の近代日本で重要な文人を六人挙げている。久保田万太郎、折口信夫、佐藤春夫、堀口大學、西脇順三郎、永井荷風。

篠田はここで取り上げる作品や文人に格別な思い入れがあるようだ。本書を読んでいてそれらへの彼の温かい眼差しを感じる。彼はその作品群から「詩的言語によってひとつの宇宙を構築しようとする意志」を感じ取る。また彼は言う。「詩というものは散文と違い、意味を一つずつ追いかけていくと、結局はわからなくなる」。「詩、ポエジーというものは、日常的な場に屹立し、日常的空間とは異なる一つの言語空間を創りだすものだったんです」。

詩はそこから音楽性やイメージを感じ取り、その異世界を楽しむものだと思う。短歌や俳句や詩は歌っている。だからそれらは、言葉の音楽と言ってもよいのではないだろうか。

2011年6月10日

自愛の意味 (佐々木常夫『働く君に贈る25の言葉』)

「運命を引き受け、人を愛しなさい。
それが、自分を大切にすることです」

佐々木常夫『働く君に贈る25の言葉』(WAVE出版)

著者は妻に三度の自殺未遂をされ、つらい思いをしました。また、先天的な自閉症で生まれてきた息子に悩みました。この病氣は育て方で治るものではないそうです。それでも、仕事にも家庭にも積極的に向き合ってきました。そんな苦労を乗り越えた人です。
また、著者の母親には運命は引き受けよう、と言って微笑む姿がありました。26歳で未亡人になり、4人の息子達を育てるために働きづめに働きました。それでもその母親は愚痴を言うことなく、どんなときでもにこにこ笑っていました。
母親の生きる姿勢を支えに人生の荒波を乗り越えた著者の言葉を紹介しました。

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