日常

2012年11月 4日

町工場(こうば)

自分は音楽を聞くことが好きだ。
今後の音楽はダウンロードが広まると思われる。CD世代の自分にとって音楽はCDで聞くことも忘れない。ダウンロードと違ってCDはジャケットも楽しめる。ジャケットも音楽作品の一つだと思っている。

CDケース、この数年で頻繁に不良品にあたることが多くなった。空のケースだけ買っておいてその都度使えない部分と交換している。多分、人件費の安い海外で作ってコストを浮かせているためだろう。10年以上前は今ほど交換ばかりはしていなかった。これを作っていた日本人が勤勉だったためだろう。

そんな町工場が減っているという。寅さんのような舞台はかつては庶民の代表だった。今ではフィクションになりつつある。

昔、戦後間もない頃だったろうか。小さな町工場の本田技研工業があった。汗と油にまみれて必死で働いた。そこまでは他の工場と同じだった。ただ、他にはないアイデアを出した。自転車にエンジンを積んだ。そこから工夫を重ね、カブというバイクを完成させる。これが大ヒット。今の自動車メーカーのホンダの始まりである。小さな町工場の本田技研から、社長一代で世界のホンダに躍り出た。それまでに技術屋一筋の社長が、経営のプロフェッショナルと出会った。この相棒との縁を機に会社は飛躍的に大きくなる。本田宗一郎にはそんな良き出会いがあった。

人は一人では生きていけない。ときに誰かを支え、ときに誰かに支えられる。それぞれの人に様々な縁がある。良き出会いに恵まれますよう。

2012年8月 7日

哲学講座に初めて参加

先日は一般者向けの哲学の講座を受けてきた。楽しかった。
何しろかねてから興味のあった哲学の講義を受けたのは初めて。
先生は応用倫理学、現代英米倫理学、西洋哲学史が専門。かつてはカント研究もしていた。蔵田伸雄氏。実年齢は50歳くらいだが、初めて見たときは失礼ながら助手の人かな、と思うほど若く見えた。

講座は人生の意味をテーマに哲学の概略を分かりやすく教えてくれた。時折笑いも交えつつ。質疑応答では自分の拙い発言にも丁寧に応えて下さった。その後の先生を交えた飲み会にも参加。以前からの疑問を先生にぶつけて確かめた。信じることの内容は空洞なのか。大森荘蔵が書いていた。先生のこれの答えははぐらかされた感があった。代わりに大森荘蔵に反応なさった。専門家の話が聞けて大変ありがたかった。
二次会の楽しい酒で羽目を外し、翌日は完全に二日酔い(笑)。

哲学はプロセス。思想は出来上がった作品。そう教わった。曰く、ヘーゲル『精神現象学』は哲学書と思想書の半々、九鬼周造は自分の思っていることを書いているだけで、哲学者ではない、日本で西田幾多郎の次の哲学者は大森荘蔵、それくらい大森は画期的だった、との事。新鮮に聞かせてもらった。

2012年6月26日

異世界の境内へ

自転車で近所の神社に行ってきた。周りは住宅街と区役所、スーパー、コンビニ、居酒屋、病院があり車がよく行き交う。

以前読んだ本に神社での散歩が休息だったとあった。そんなに心地良いものかと。近所の神社には何年も前に行ったきり。

着いた。階段を昇る。鳥居を見上げる。境内に入る。思ったより広かった。道の両脇に石燈籠が迎える。樹齢何年だろうと思わせる大木が何本かある。鳥居の裏には昭和33年建立とあった。小さな、ゆとりのある、雑木林。芝生もあった。里山を思わせる、手の行き届いた、人と木の共生。木もれ陽が暖かい。鳥のさえずり、茂る葉が風にささやく。境内の外とは別世界。確かにこの環境での散歩は心地良い。 穏やかな初夏のひとときを満喫した。

image-20120626224246.png image-20120626224343.png image-20120626224430.png image-20120626224518.png

2011年11月13日

風景画との出会い

浪人生の頃に路上で絵を買った。額縁よりも安かった。サイズは0号で紙のA4よりもまだ小さい。油絵の風景画。エベレストだったかの山を遠くに、秋の広葉樹が一本近くに生い茂る。川面が光っている。繊細だが観ていて落ち着く。最近久しぶりにこの絵を眺めた。1,2時間ほどたっただろうか。頬が緩む。飽き足らずにさらに酒を飲みながらこの絵に浸っていた。この絵は自分に合っている。

これを買った当時、幾つかの絵の中からこれが一番氣に入った。この絵が呼んでいたのかもしれない。売り手は日本語の話せる白人だった。少し話をした。この絵の山はエベレストだという。自分は日本人では富士山のようなものだと言った。若い白人は怒った。そんなに小さくない。霊峰という意味では同じだと言いたかったのだが。怒るということはこの白人は絵描きだろう。また、それだけ氣持ちを込めてこの絵を描いたと思われる。名を尋ねなかった。絵にサインもない。

近年、家からほど近いそば屋でこの絵とよく似た大きなサイズの絵を見つけた。自分は絵に詳しくないが、自分の絵の構図はあの白人の独自のものではないらしい。誰かの絵の模写なのだろう。たとえそうであろうがこの絵を眺めていると氣持ちが安らぐ。あの白人は真剣にこれを描いたようだ。その思いがこの絵にこもっている。観る者にそれを感じさせる絵だ。

あの日、あの時、あの場所で、立ち止まらなければ、この絵と出会うことはなかった。この絵はこれからも大切にするだろう。

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2011年6月 3日

貴重な喫茶店

去年、行きつけのジャズ喫茶のママさんから後学のためにと、地元のクラシック喫茶(名曲喫茶)を教えてもらいました。こちらもそのジャズ喫茶のように開店して50年が経ちました。教えてもらって早速そのクラシック喫茶に数回行きました。
先日、半年ぶりにそのクラシック喫茶に行って来ました。初めて学生君の二人連れの客を見かけました。邪魔にならずに良かった。こんな若い人も来るんだ。珍しい。何よりも久しぶりに行ったのに、店の方は僕がクラシックに詳しくないことと僕のクラシックの好みを覚えてくれていました。嬉しかったです。とても楽しいひとときでした。これからその店に行くのも楽しみになりました。

ジャズ喫茶とクラシック喫茶は、立派なオーディオで手持ちのCDやレコードを大きな音でかけるのが特徴。リクエストもできる。
これらの喫茶店に行って思いました。共に店の方は真剣に聞く客にやりがいを感じるようです。多分選曲の腕が鳴るのでしょう。これが好きならこっちはどうだ、と音楽を通した独特の会話があります。無言の会話でときにぶつかり、ときに喜ぶ。ユーセンで済ます一般の喫茶店とは違います。これがこうした喫茶店の本来の醍醐味だと思いました。また、これらの喫茶店は日本の文化とも言えるのではないでしょうか。

2010年3月28日

制約と自由

今年の初めに「iPhone」を手に入れました。憧れだった携帯電話です。これに音楽を聞く「iPod」も入っていたので、最近寝しなに「アイポッド」を聞いています。

これで広沢虎造の「清水次郎長伝」を聞きました。今の僕にとっては虎造は格好いいです。様になっています。「次郎長伝」はCDプレイヤーで椅子に座ってじっと聞く氣にはなかなかなれませんでした。ですが、「アイポッド」だと抵抗なく聞けます。不思議ですね。じっと動かずに聞こうと思うと抵抗がありますが、いつでも移動しながら聞けると思うと、黙って聞き入りました。
それにちなんでこんな話があります。心身統一合氣道宗主、藤平(とうへい)光一氏はあるとき酒場のけんかに出くわしました。そのとき光一氏は何も言わずにテーブルと椅子を脇に寄せ、どうぞお好きにと言わんばかりの空間を作りました。するとけんかが収まったそうです。
先程の「アイポッド」と通じるものがあると思いました。何か障害や制約があると抵抗を感じますが、今度は自由になると冷静になるのが人間の性なのかもしれません。反発がなくなります。これとは逆に全く制約がないと人は進歩しないのではないでしょうか。「必要は発明の母」と言うように。
とにかく、今はこの「アイフォン」に夢中です。すっかり氣に入りました。

2009年11月29日

大きな柱

 以前職場の人間関係で悩んでいたとき、頼りにしていた上司に相談をした。

 「大きな柱とどうでもいいことの二つに分けて考える。どうでもいいことは氣にしない」

 大きな柱の一つが仕事であれば、会社に向かう途中にもめごとがあって、どんなに相手が悪くてもこちらが謝る。いちいちけんかをしていたら遅刻をするから、とのこと。
 大きな柱は仕事に限らないという。思うに家族、友人、恋人、趣味など人により様々ではないだろうか。いずれにせよ「どうでもいいことは氣にしない」と割り切るためには、揺るぎない柱を立てることが必要だ。

 今の自分はまだ、些細なことで苛ついたり不安になったりする。土台の基礎を丈夫にしたい。これだけは譲れないという事を着実に積み上げ、自信をつける。

 「大きな柱」の助言を大切にしたい。

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