音楽

2015年6月28日

山下達郎伝

 山下達郎。日本の音楽界、特にポップスの分野で長年活躍し、今も現役。1953年生まれ。東京生まれの東京育ち。生粋の江戸っ子。シンガーソングライター。よく吟味された音作りから、「音の職人」とも呼ばれる。彼はテレビには出ない。ラジオや雑誌が主な出演メディア。自身のラジオ番組「山下達郎 サンデー・ソングブック」に毎週出演中。

 彼は「若いうちの苦労は買ってでもしよう」と人に言うほどの苦労人。ミュージシャンに憧れる人たちの多くがそうであったように、彼もまた食うや食わずのアルバイトで生活をしながらプロデビューを目指す。デビューできたのはいいものの、当時の事務所は給料をまともに払ってくれなかった。そのため、デビュー後もしばらくアルバイトを続けた。そんな駆け出しの頃、アメリカに渡ってレコーディングをする機会を得た。アメリカに行ってみると、事務所がホテルの予約をしていなかったことに愕然とする。ようやく見つけた安ホテルの近所ではギャングが撃ち合いをしていて危ない思いをした。

 彼は多様な音楽を聞き実に幅広い。そんな彼には最も影響を受けた五大アーティストがいる。

1.ビーチボーイズ
2.ヤングラスカルズ
3.ジェームス・ブラウン
4.アイズリー・ブラザーズ
5.スモーキー・ロビンソン

 音楽活動をする上で、この五組には多大な影響を受けているという。

 彼の名は今や全国に知れ渡るに至り、「夏だ、海だ、達郎だ」と世間から言われた時代もあれば、「クリスマス・イブ」の大ヒットもある。本人はこの曲が売れるとはあまり思っていなかった。これだけのヒットはこれが最初で最後だろう、と自身で語っている。
 こうして押しも押されもしない地位を築いた彼だが、仕事の依頼が全く来なくなった時期があった。これでもう引退の潮時と、当人もあきらめかけていた頃、一つの依頼が舞い込んだ。ジャニーズ事務所からだった。二人組のキンキキッズのデビュー曲を書いてほしいと言う。作曲を頼まれた。ノルマはミリオン。100万枚売ってほしいとの事。彼は再起をかけてこの仕事を引き受けた。そうして出来上がった曲が「硝子の少年」。ノルマも見事に果たした。それ以来、再び曲書きの仕事が来るようになる。

 あるとき彼はこんなことを言っていた。
 「作詞がなければこの世は天国」
 職業作詞家に頼んだこともあった。だが、ファンは納得しなかった。それなら、苦しくても自分で書くしかないと腹をくくる。
 またあるときはこうも言っていた。
 「心は売っても、魂は売らない」
 芸能界を地獄と呼ぶ、苦労人・山下達郎ならではの言葉が重く響く。そんな地獄の中でも妻の竹内まりやは彼をこう見ている。
 「達郎は音楽を聞く喜びを絶対に忘れない。どのジャンルでも」
 彼は音楽自体には罪はない、と言っていた。

2012年1月25日

「いのちの歌」に寄せて

このバラード曲で竹内まりや氏は作曲していないので彼女の作詞について書く。この歌詞は前向きな彼女らしさの一つの到達点だと思う。生きることはつらいことばかりではない。良き出会いもある。支えてくれることもある。尊い日常がある。そして、「この命にありがとう」。

彼女がこの作詞をしたとき、珍しく泣いたという。不思議と。どんなに悲しい曲を書いても泣かなかったのに、との事。これは生みの苦しみなのか、喜びなのか。いずれにせよこの詞に彼女の体が反応したということは、彼女にとって節目の曲なのかもしれない。

「元気を出して」、「Quiet Life」、「人生の扉」、そしてこの「いのちの歌」。この一連の作品群にあるもの、それは生きることの肯定。彼女の夫であり、ビジネス・パートナーであり、何より彼女を一番知っている、山下達郎氏は、彼女をこう捉えている。「ひとが生きて行くことへの強い肯定」。ベスト盤『Expressions』のライナーノートで彼はそう書いている。この作品もその流れを汲んでいる。これは時代を経ても残り続ける曲。そう願ってやまない。


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2011年10月21日

はたちの頃に響いた歌

「アンパンマンのマーチ」
作詞: やなせたかし
(抜粋)

「そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ胸の傷がいたんでも
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで」

「なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも
そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
行け!みんなの夢 まもるため」

自分が浪人生時代、予備校の好きな先生が最後の授業でこれを歌ってくれた。あれから時が流れた。今でもN先生の歌声が蘇る。受験の不安の中でその歌を聞き、感情が高ぶったためだろう。この歌はそのとき初めて知った。
これは子供のための歌だが、大人も味わえる歌詞だろう。

2011年4月27日

dj hondaの勝負

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dj honda "dj honda"

自分はこのセイム・タイトルのファースト・アルバムと彼のアルバム"h II"を持っているが、"h II"は軟弱だ。全曲聞く氣になれない。

一方、このファースト・アルバムはリリースされて16年経た今でも、全曲聞き応えがある。特筆すべきはやはり2曲目の'dj battle round 1'。彼の人生を賭けたとも言える勝負が聞ける。わずか1分半のプレイだが見事に技を決め、聴衆の喝采を勝ち得る。'92年、アメリカの世界大会における貴重な記録である。彼のこのプレイは今聞いても興奮する。
アルバム全体としても充実の出来。

dj hondaの名を世界に知らしめたデビュー・アルバムである。これは歴史に残るアルバムだろう。

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