« 2016年11月 | トップページ | 2018年3月 »

2016年12月

2016年12月 8日

私の哲学入門

 普段生活をしていて、ふと、「なぜ」あるいは「これは何だろう」と思うことはないだろうか。

 友人と話していて、なぜここで笑うのか、どうしてそういう態度を取るのか。誰しもそんな疑問を感じることがあるだろう。それが哲学になる。そう、哲学は日常生活の床下に潜んでいる。それは広くて、深い。難しい専門用語を並び立てる哲学も確かにある。だが、哲学はそれに限ったことではない。それは日常に寄り添っている。むしろ、専門用語を使う哲学も元々は日常経験から始まる。その経験を土台にしないと、その哲学に説得力は出ない。「迫るもの」や面白さに欠ける。哲学も学問である以上、論理が通らなければならない。全くの他人にも理解できるように言葉を置かなくてはならない。
 迫力のある哲学論文は、自分の体験を踏まえた上で抽象化されている。それが自分だから書ける独創的な論文になると思う。だから、他人が読んでも迫力が伝わる。論文だから論理の世界だが、それでも優れた論文は読む者の心を打つ。理性と感覚がバランス良く溶け合った結晶。読み手によって、共感もあれば、反発もある。一見理解し難いが、なんとか理解したいと好奇心をかき立てられるものもある。「分からないけど、分かりたい」。そう思わせたら、上出来だろう。

 哲学によくあることの一つに「似て非なるもの」の違いがある。
 例えば「こだわり」と「吟味」。これらは同じような意味だと思うかもしれない。だが、こだわりは、下らないことに拘ること。吟味は、よく練られた意味で使われる。似ているようで、全くの別物。
 これは真理にそのような特徴が一つにはあるためと思われる。
 真理は多面体。それは様々な側面を見せる。これも本当なら、あれも本当。だが、厳として受け付けないものもある。それは正しくないこと。間違ったことは真理とは言えない。ところが、真理と間違いは表面上よく似ている。だから、しっかりと見極めなければならない。正しい行いをすると、面白いように事が上手く運ぶ。一方、間違った行いをすると、事が思うようにはかどらず、苦しむ。間違うなとは言わない。誰でも間違うことがあるからだ。なので、いかにその間違いに氣づくかにかかっている。真理は多面体だが、多面体から外れた間違った道もある。後者の外道はつらく、苦しい。前者の真理は快く安定している。身体の感覚が真理を判別する。「そうだ、これが調子のいい時の感覚だ」。理性、感性、身体、真理。真理と間違いは「似て非なるもの」。
 試行錯誤を繰り返しながら、日常生活に真理が見え隠れする。真理という光の大海に包まれているときは、この上のない幸せを感じることだろう。


─────────

【参考図書(入門書)】

⒈ 山本信『哲学の基礎』北樹出版
(これは比較的読みやすい文章で、哲学の全体像がつかめます。教科書的ですが入門書に最適です。)

⒉ 熊野純彦『西洋哲学史』(全2冊。「古代から中世へ」と「近代から現代へ」。)岩波新書
(この著者は今勢いがあります。本書は哲学書の原典の日本語訳も引用されていて、その本文はこの引用文と遜色のない文体です。なので、こちらは歯応えがあると思います。「近代から現代へ」だけでもいいかもしれません。)

*哲学事典
『岩波 哲学・思想事典』岩波書店
(哲学を趣味とする人から、その研究者まで。哲学の概念史を押さえることができます。こればかりやると氣が狂うので、自分は『大辞林』と合わせて読んでいます。大抵の大学図書館にあります。)

« 2016年11月 | トップページ | 2018年3月 »

2018年3月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ